「これが正義」だと言い張るタクシードライバー


最近ちょっとした湊かなえブームで、彼女の小説を読みふけっている。

湊かなえの緻密な人物描写(なのに大事な部分は空白だったりする)や、各登場人物によって解釈の異なる物事の見方・捉え方、適度な「あるある」がなるほど、女性読者に人気な理由なのだな、と妙に納得する。あとはものすごく読みやすい。

彼女の小説を読んでいると、それぞれの人物が「良かれと思って」「そんなつもりはなかった」「それがどうあるべきだと思って」というような、立場によって解釈の異なる「正義」や「あたり前」を絶妙なストーリー展開で読ませてくれるのが心地よかったりするのだが、「あたり前」「普通」とはなんだろう、と考えることが多い私にとっても、彼女の小説の内容は全く他人事とは思えない。

話は戻るが、“妙に納得する”と言えば、数年前にタクシーに乗った時の、これぞ言い得て妙! という面白話があるので、ここにログとして残しておきたい。

度肝を抜かれた。タクシードライバーが言うところの「日本人の当たり前」

とある日、飲み会に遅れそうだったので、おもむろにタクシーを止め乗り込んだ。

乗り込むや否や、おそらく四・五十半ばのタクシードライバーが

「いや〜、さっき細い道を若いガキ六人くらいが横一列になって歩いてましてねえ…しかもダラダラ歩くわけですよ。もうね、僕、殺してやろうかと思いましたよ」と。

…とりあえず、え? よね

乗り込んできた客に突然そんな話するか? そもそもっていう。

そこからタクシードライバーの話は加速していく。

「あと僕はね、横断歩道をダラダラ歩く歩行者! あれも嫌いですね! 車が歩道の前で待ってるなら、全力で走ってお礼をしなきゃいかんでしょ! それが日本人ってもんでしょう!」

…私はもうね、こういう勘違いをした人がこういう考え方であり続ける限り、この国の切ない末路が脳裏をよぎったよ。

0か100しか頭にない人。はっきり言う、マジで好かん。

自分勝手な「日本人論」を一方的に諭される私の気持ちはどうすればよいのだ。

そしてさらに、彼は続ける。

「僕はね、小学生の息子にも、歩道を渡る時は車を待たせちゃ悪いから全力で走れと言いますよ。それでね、お辞儀をしながら走らせますよ」。

おいお前マジかよ。ぐうの音も出ねえ。

歩行者が一方的に感謝しなければいけない彼の理論は全く理屈が通っておらず、それなのに自信満々に、その理屈が正しいかどうかを疑うことなく年老いていったその男に若干の同情すら覚える。

彼の理論に、敢えて“日本人らしさ”というものを付け加えるとしたら、そこに“お互い様”を入れなければいかないのではないだろうか。

本来、歩道はその名の通り、歩行者のものである。私が欧州にいた時、そもそも車は歩行者を待つものという考えがあるので(ていうか日本も本来そういう考え方だよね)わざわざ待っている車に対してお礼を言ったり、むやみやたら走ってみたりというようなシーンはない。

だが、敢えてここに“日本らしさ”を入れてみよう。

歩行者は、車に対して「待ってくれてありがとう」の気持ちをお辞儀や小走りなどで伝える。そして車も「急いでくれてありがとう。もっとゆっくり渡って良いですよ」。

この二つの、いわゆる阿吽の呼吸があって初めて「日本らしさ」と言えるのではないか。

どちらか片方に「驕り」が見えた瞬間に、日本らしさ(というか個人的には、“日本人が理想としている美しき日本人らしさ”、といったほうが良いかも)は脆くも崩れ去る。

ということで、あのタクシードライバーが言っていたことは、完全なる独りよがりの老害発言である。申し訳ないが、そんなに日本人らしさを若者たちに解きたいならば、もう少しちゃんと物を考えてからにしてくれ。

悲しくなっちゃうから。

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