2018年半ばを迎えた女のぼやき


割とどうでもいい。

割とどうでもいいと思っている人は多いと思う。

どうでもいいと思っていても、大人だからどうでもよくないフリをするだけで

多分、ほとんどの人はどうでもいいのだと思う。

「肉系? 魚系? 居酒屋系? イタリアン? 何系食べたい?」

「どっちでもいいよ」

こんなカップルや友達どうしのやりとり。

聞く方も聞かれるほうも、もはや“茶番”だと分かりきっている中、敢えてやるのだ。

「どっちでもいいよ」は「どうでもいい」のだ。

「どうでもいい」は「どうにでもなるからいい」のだ。

ポジティブな「どうでもいい」をもっと浸透させていきたい。

だから本当は、人の人生がどうだとか、

婚活中の友人や知り合いが上手くいかないことを暗に祈るだとか、

他人さまの恋愛事情に首を突っ込み、影で嘲笑するだとか、

あいつのご主人・奥さん、子どもがなんだとか、

あいつより俺の会社のほうがデカいとか。

クソどうでもいいのだ。

私は私で自由に働き、自由に稼ぎ、自由に酒を飲み、自由に夫や友人との時間を楽しみ、自由に絵を描いて文字を書き人生を楽しんでいる。

だから、大して面白く昇華することもできないのに、そんなどうでもいい話を、あたかも価値のある話のような口ぶりで話すのはやめて欲しいのだ。気持ちよくない。

もちろん、人間だから文句とかネガティブなことを言いたくなる時はある。

なんだったら、私なんて相当人の文句を言っているほうだと思う。

文句を言わないような人間だったら、今書いていることにも重みが増すだろうが、あいにく私はそんなデキた人間ではない。

が、それは理不尽が過ぎる時だけだ。

或いは、ネタとして話す文句もある。

が、言っているほうも聞いているほうも、後味スッキリ、引きずらない、をモットーにしているので、多少の面白みを含んで話すようにしている。

文句を言ったあとは、90%の嫌味と10%のユーモアを。

そしてその後は引きずらない。

“ターゲット”になってしまっている人は、その空間においては「完全なヒール」になってしまうが、スッキリしたあとの私はスッキリしているだけの私なので、それ以上負の連鎖は起こりづらいのだ。

“ターゲット”も、その話の間だけの数分・数十分間だけ、別の場所で誰かが自分のことをあーだこーだ言っている、それだけのことだ。

誰かを嘲笑したければ、せめて少しの面白みを含ませて欲しい。

たった数十年の命。自分なんて人間は大した存在ではない。歴史のごくごく一部なのだ。

他人の人生に口出す時間と体力があるのなら、今の自分の人生に口出すために、その時間も体力も使ってみたら良いと思う。

まあ、単なる言い訳、ですな。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*


CAPTCHA