【反省文】平野歩夢が私を黙らせた


ソチオリンピックから4年。今年の平昌オリンピックのスノーボード ハーフパイプで、全世の中の私たちがざわついた

無論、ざわついた一番の理由は平野歩夢選手に、である。そしてあの顔とあの好青年ぶりに、だということは言うまでもない。

こういうことを言ってしまうと、「スノボに詳しくないただのミーハーが!」「 黙れ小僧!」など、どこぞのモロの君からお叱りを受けそうだが、こればかりは仕方ない。

言わせてもらおう。私はちっとも悪くない。本当に悪いのはあんな好青年へと成長を遂げた平野歩夢のほうだ

けしからん。実にけしからん。

何度も言うが彼の顔はずるい。もう好きにならない人なんていないっしょ! というアレだ。

たまに見せる笑顔。いわゆる「ギャップ萌え」という言葉を使う機会があるとすれば私は全力で使ってみたい。

「ギャップ萌えええええええええ!!!」

振り返ればソチ五輪。あどけなさの残る彼にノックアウトされたあの時から恋の歯車は回り始めていたのかもしれない。もちろん銀メダルという素晴らしい結果も残している。

ちょっと悪ふざけが過ぎたので話を戻す

私は何も「ギャップ萌え」と叫ぶためにこの記事をしたためているわけではない。

しかしまあ、改めて平昌で見る平野歩夢は、ちょ、ガチでやばい。ガチでやばかった。語彙力が「ガチ」とか「やばい」としか出ないほど思考停止させられてしまう好青年ぶりだった。

もちろん容姿だけではない。X games 2018では地球上で始めて“フロントサイドダブルコーク1440”からの“キャブダブルコーク1440”の連続技という、史上初の離れ業を成功させ見事優勝した。

平昌五輪でもあの大技を決め、銀メダルという輝かしい結果を残している。

傍観者の私たちは雪の中を自在に飛び回る彼を「かっこいい」だの「すごい」だのと形容し応援する。そんな彼の“カッコイイ側面”を観ている全く同じ時間、彼はともすれば“死”と隣り合わせで競技に身を委ねているのだ。

彼が自身に課したプレッシャーとは一体如何ほどのものだったのだろう? 想像を絶する。

そんな平野歩夢に学んだことがある。

ひと言でいうと「言葉を大事にしろ」ということである。

もちろん彼から直接言われたわけでもないし、そんなことを彼がメディアなりで発言したわけでもない。しかし、私は彼のインタビューやドキュメンタリーなど、見れるものはひと通り舐め回すように拝み倒し、それら一連を終えて改めて思ったのだ。

「私、そろそろ黙ろうかな…」と。

なんだかよくわからないが、間接的に諭された気がしたのだ。

彼の、相手との間にきちんと余白を残し真摯的に振る舞う、そして必要以上のことはしないし話さない、そんな己のスタイルを貫く姿勢。それがまわりまわって誠実さとして我々視聴者・ファンの胸を打つのだ。

そんなスタイルが、人間としてカッコイイと私は思った

少し私の話をする。

私は最近、自分の発言に違和感を感じることが多くなっていた。

それは何かというと、例えば間を埋めるための会話だったり、中身のない会話だったり。その時はもちろん「面白い!」と思って話すわけだが、繰り返すうちにだんだん嘘っぽくなるというか、自分のことなのに自分じゃない誰かの話をしているような感覚に陥るのだ。

きっと、そんな自分自身に疲れていたのだろう。

サービス精神なのか、はたまた何かに駆られてなのかは分からないが、とにかく自分に何か起きるたびに、何か考えつくたびに矢継ぎ早に面白おかしく話してみる行為。

若い頃の秘密主義の殻を破り、自分のことをよく話すようになった20代中盤からの私は特に、昔喋れなかった期間の溝を埋めるかのように、そりゃもうペラペラと話しまくっていたのだ。聞かれてもいないのに。

そういうことを繰り返していると、ふと「あれ、重みがないな」という虚しさが湧いてくるのだ

一方で平野選手。彼の発する言葉には重みがある。

選手団の帰国会見で、松岡修造氏から「どんな4年間だったか?」という質問に対して「やりたくないことばかりをやった4年間だった」と答え、朝の情報番組でくりぃむしちゅーの上田氏から「新しい技の会得を考えているか?」と言われれば「もちろん必要になってくる」と答えた上で、技の危険性を吐露する場面もあった。「頼むから死ぬなという思いで回転数を上げていく」。そういうことも話していたように思う。

字面で見るとなかなかすごいことを言っているのだが、あの淡々とした語り口と表情によって、マイルドな印象として我々にインプットされる。

例えば私に「死ぬかもしれない」と思うような仕事があっただろうか?

もちろん精神的に「死ぬかも」みたいなことはいくらでもあったが、「今! この時に! 死ぬ可能性があるところに飛び込みます!」という類の、そういう範囲のそういう仕事はなかった。

だから、私には実際にどれだけ怖いのかは分からない。

そんなこんなで、まあおこがましい話だが、彼の言動、滑りを始め、そんな過酷な道を通ってきた、そしてきっとこれからもそうであろう彼の『人生観』みたいなものに触れた気がしたのだ。

だから、いわゆる“容姿”はもちろんだが、それよりなによりも、彼の内に秘めた“武士道的な部分”に大変な魅力を感じるのだ

とまあ、彼の滑りに、彼の言動に、彼の笑顔にノックアウトされた女性のみならず男性も、平野歩夢という選手の持つ何かそういう魅力に取り憑かれてしまったのだと思う。

これだけ書いても、結局私は彼の“上澄み”しか知らない。

でもそれでいいと思っている。

武士は黙って結果を残す。

多いに学ばせてもらいました。そして反省しました。

だから私は、「しばらく黙ろう」と思ったのです

【余談】

平野歩夢選手といえば、お父さまとの二人三脚でも有名だが、二人の光景を観ていると、毎回奥田民生の「人の息子」という名曲を思い出す。

もともとこの曲が好きではあるが、私は特にココの歌詞がものすごくお気に入りだ。

手を抜け気を抜くな 時々怠けるな

平野親子を見ると、曲はもとよりこの“歌詞”が浮かぶ。

まあ、ただの余談である。

さて今回は平野歩夢選手にフォーカスしたが、今回のオリンピックで改めて、アスリートの凄さに触れ、そして垣間見ることができる貴重な時間となった。

とにかく平野歩夢くん(最後くらい『くん』と呼ばせてくれ、いいだろ)、気づかせてくれてありがとう。そしてこれからもかっこいい滑りで私たちを魅了して欲しい。

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【追記】フォロワーなんてほぼいないのに、リツイートやLikeいただきありがとうございます。これは本当に書きたくて書いた記事なのですごーくうれしいです。

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